受 難


一、

 保智の人生には、何故か災難が多かった。
 他愛のないことから大事まで、とにかく総じて保智に災いが降りかかるのだ。
 本人の性格に原因があるのだが、自覚のない保智にはそれが分かっていない。



「あ」

 風呂の戸を開けてから、保智は一瞬足を止めた。

「あれ、保くんもお風呂?」

 脱衣所で着物を脱ぎかけていた圭祐は、にっこり笑ってまた着物を脱ぎ出す。
 衛明館にはひとつしか風呂がなく、隊士同士がはち合う事は多かった。野郎ばかりの仕事で風呂まで裸の付き合いをしようと思う者は一人もおらず、誰かが風呂に入ると言うと他の者は風呂場の前で並び待ちする光景が毎日見られる。
 いつもより時間が早いせいか、風呂の前に並んでいる者がいないので誰も入っていないのだろうと思ったのだった。

「明かりくらい付けとけよ……」

 引き返すのも何か間違っているような気がして、保智は遠慮がちに戸を閉めて中に入る。

「脱衣所はいつも付けないんだ。他の人の時に蝋燭がなくなったら困るしね」

 そう言う圭祐は、胸が膨らんでいない事と下さえ見なければ少女のような身体つきだった。肌理の細かい肌は侍女に妬まれるほどで、なによりも顔の造形が清楚な美少女といった風なのだ。
 圭祐にとってはこの身体がコンプレックスの塊だと言っても、隊士達は血走った目で「お前はそのままでいい」と説得にかかる有様。彼らには女的な存在があった方がいいという邪心しかないのだが、圭祐はそれを知っている上で厚意として受け取っていた。人間の器が違う。

 脱いだ服を丁寧に畳んで篭に入れると、圭祐は先に浴場へ行った。
 保智はまだ帯もほどかずに脱衣所に突っ立ち、棚に手を付いて気難しそうな顔をする。

(……圭祐が男だとは分かってる。分かってるんだよ俺は……)

 同隊の班長として相棒に当たる相手でも、保智はいまだに圭祐が女に見えて仕方がなかった。
 惚れたというわけではない。女への接し方に対して不器用な性分が、女に見える圭祐にも反映しているだけなのだ。
 もう少し圭祐の声が低ければ、まだ救われていたかもしれないと思う。中性的な声がよけいに少女のように思えてしまうのだ。だからといって野太い声で喋られたら今以上に混乱するだろう自分の思考を中断し、保智はようやく帯を緩めて脱ぎ始める。

 浴場で桶を置く音がした。

 さらに待つ。

 圭祐が湯船に入ったらしい音を聞き届けてから、まるで泥棒のようにそろりと浴場へ入った。

「保くん、服脱ぐのにずいぶん時間かかるんだね」

 身体を洗い出すと、檜の縁に両腕を置いた圭祐がくすくすと笑った。

「別に……ちょっと考え事してただけだよ」

 保智は見られているのが急に気恥ずかしくなり、椅子ごと身体をずらして背中を向ける。
 ぱしゃん、と湯の弾ける音がして、気づくと圭祐が後ろに立っていた。

「背中流してあげようか?」

 自分の肩越しから細い手首が伸びてきて、手拭をよこせと催促している。この期に及んでもそれは女の手のように見え、今ここで振り返ったら後悔する、と脈絡もないことを思った。

「別にいいって……」
「保くん、別にって台詞多いなぁ」
「別に……うっ」
「いいけどね。ほら、手拭い貸して」

 諦めて手拭いを渡すと、圭祐は片膝をついて丁寧に背中を洗い始めた。

 人に背中を流してもらうなど何年ぶりだったか。
 悪い気はしなかった。力加減はさすがに女よりは強く、隅々まで手拭いを滑らせてくれる。気持ちよくなるとだんだん猫背になってきて、自分の膝の間に上体を入れそうになった。
 突然、圭祐がぺちっと背中を叩く。

「保くんて綺麗に筋肉ついてるよね。ちょっと羨ましい」
「……そうでもないけど」

 言いながら、圭祐の身体に自分ほどの筋肉がついているのを想像して即座にやめた。
 やはり人それぞれ体格の基準というものがある。
 自分が圭祐や幼馴染の甲斐ような体格だったとしても恐ろしい。

「圭祐はそのままでも問題ないし、いいんじゃないのか」
「みんな同じこと言うんだよね、僕はこのままでいいって。女みたいで嫌じゃない?」

 圭祐が女に思えるという後ろめたい心があるところへ、追い討ちをかけるように問いかけられた。なんと答えていいものやら迷っていると、背中から風呂の湯をかけられて背筋を伸ばす。

「あちっ!」

 今まで平然とその湯船に圭祐が入っていたことも忘れ、熱さに呻いた。

「お前、よくこんな熱いのに入ってたな……」
「全然熱くないよ」
「熱すぎる」
「熱くないってば……」

 無意味な応酬を繰り返し、圭祐は汲んだ湯に柄杓で水を足してもう一度かけた。



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