焔の塔
二十四、
昔から瀞舟の考え方は時々理解の範疇を超える。理想を現実にしようとする志が高いのは分かるが、それにしても行きすぎだ。
箸を置き、浄正はだんだん頭痛がしてきた頭を掻き回して溜息を吐く。
「で? 処刑されたくなかったら一興乗らないかって脅されたのか?」
「お主の将来を懸念していたのは穂積様だけではない。後世は浄正の手腕の如何によっていくらでも変える事ができる。その時代は私やお主の子らが生きるのだ。子供達が何者にも脅かされず育つ時代を私は願った。父のような死に方をする者が一人でもいなくなるようにと。世を正すには世を創る者、守る者が動かねばならぬ。だから引き受けても良いと思った」
「ガキもいないうちからそんな事を考えてたのか」
「そんな事も考えられぬうちはお主に一城を守る覚悟などなかったのだろうな」
たしかになかった。ぐうの音も出ない。
とはいえ瀞舟は友人である樹に自分を売られた事が不服だったらしく、彼を共犯に巻き込んだと白状した。そもそも彼の協力がなければ野良犬としてあそこまで行動できなかったのだ。
遠征先を事前に知る事ができたのも飛車の目を欺けたのも、樹の術によるもの。
その樹でさえ、自分が野良犬の愚痴を吐きに行っても何も匂わせなかった。
穂積といい樹といい、政治に絡む奴らはとことん腹黒で悪質だ。これだから城の天狗どもは信用ならないのだ。
「十三年にはなんか意味でもあったのか」
特に意味はないと返したらそのすかした面に酒をぶちまけてやろう。
浄正は猪口になみなみと酒を注ぎ、煮物をほうばった。
「お主が十分な視野を持った頃を潮時にしようと思ったのだが」
瀞舟は酒を煽り、つと立ち上がって縁側に出る。
とっぷりと暮れた空は星が瞬き、心地よい夜風がさわりと吹き込んできた。
「皓司が十になった時、隠密衆に入りたいと言い出してな」
反抗期がどうのと言っていたのは何となく覚えている。皓司でも親に逆らうのかと驚いた反面、一体何に対して反抗したのか気になっていた。跡継ぎを蹴ってそんな事を言ったのか。
「三十を過ぎてお主は変わった。皓司を預けても良いと思うほどにはな。それで引いたのだ」
簡単に言ってくれる。
この男に恨みつらみを吐いたところで無意味だと悟った浄正は、飲み干した猪口をカン、と乱暴に膳の上へ置いた。
虫の音もなく、ただ静寂が一室を包む。
畳に転がっている金紋を見下ろし、手に取った。引退時に穂積から賜った懐刀。正しくは将軍からだが、これが自分への功績と裏切りの重みかと思うと自嘲が浮かぶ。軽いものだ。
穂積は隠密衆だけでなく将軍をも欺いた。国の為とはいえ碌な死に方はしないだろう。
懐刀を懐に仕舞い、長刀を帯に通して立ち上がる。
「瀞舟。俺は死ぬまで貴様を許さん」
庭を見つめる瀞舟の首が微かにこちらを向いた。
聞いているが返事をする気はない───確かにこいつはあの野良犬だ。
「だがお前には感謝もしている」
野良犬の正体が瀞舟でなければ持ち得なかった感情ではあるが。
表情は見えなくとも、瀞舟の口元が笑ったのは分かった。
「浄正のその愚直さが私は好きだ」
「馬鹿正直で悪かったな」
縁側に出て隣に立つと、瀞舟は入れ替わりに室内へ戻って自分の酒を注ぐ。もう浄正の存在など気にも留めず、独り酒の按配で黙々と箸を進め始めた。
帰るなら勝手に帰ればいい、居座るなら勝手に居座ればいい。
話す事がなくなるとこの当主はいつもそうして自分を野放しにする。
来た時のように庭から出て斗上の家を後にした。
庭の隅にいた野良猫がついてきて門の前にちょんと座り込む。小さな頭をひと撫でし、浄正は下駄を鳴らして夜道をぶらりと歩き出した。
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