春日の縁
一、
相方の不器用さにはつい笑ってしまう。
歩幅が大きく、最初はこちらに合わせてくれているのにしばらくすると五歩も前を行き、はたと気づいて決まり悪そうに足を止めるのだ。小走りに追いつけば、目も合わせず「すまない」と謝ってくる。そして頭を掻き回し途方に暮れるのが癖だった。
幼馴染の甲斐に言わせると、外見も中身も子供の頃から何一つ変わってないらしい。
隊長である隆はそんな部下を嘆くでもなく、変わらぬものは信頼できると言った。
変わらなければ信頼されない人間もいたけどね、と付け足して。
隠密衆に入隊した当時の自分を笑ってくれたのだろう。あの頃を思い出すと今でも恥ずかしく、しかし衛明館の誰ひとりとしてその時の話を軽はずみに持ち出す者はいなかった。
信頼を得るということは、居場所を見つけることでもあるんだろう。
「ね、保くん。どこの桜を見に行くの?」
桜でも見に行かないかと、珍しく保智の方から誘ってくれた今朝。衛明館の敷地内にも立派な桜の樹はあるが、町へ出ようという。人混み嫌いで物ぐさな相方がどうしたことか。
「どこのっていうか……どこのでも別に」
「別に?」
「だから、特定するわけじゃなくて」
別に、が口癖で本音を言うことさえ面倒くさがる。そこを汲み取るのは簡単だが、どうにも我が儘になれないらしい保智は根っからの苦労症で少し不憫に思った。
「ぶらぶら見て歩くのも悪くないけど、目的地を決めないと」
「……と言われてもな」
「じゃ日本橋の桜を見に行こうよ」
「殿下の実家も近くだな」
両岸にそれは見事な一本桜が威風堂々と構えていて、この時期は名所としても知られ朝から賑わいのある場所だ。南町奉行所から回り、京橋を通って日本橋へ行こうと決める。
ああしよう、こうしようと決めるのはいつも圭祐の役目だった。今日も隊服ではなく普段着で出掛けようと提案したのは自分だ。たまには自分の考えを言って欲しいとも思うが、逆に自己主張しないところが彼のいいところだとも思う。ただ、その結果で苦労してばかりいるから心配なのだ。自業自得とはいえ保智だけが問題なのではない。
「そういえばね、こないだ斗上さん宛てに手紙が届いたんだよ」
「直接じゃなくて衛明館に届いたってことか?」
皓司や隆に届く手紙は大抵が機密文書なので町の飛脚は使わないのだが、庶民が差し出した場合は『江戸城内 隠密衆の誰某様 御中』というルートで衛明館に届く。遠征先で助けられ礼を言いたかったとか、今こういう問題があるので隠密衆で何とかしてくれないか、といった内容が稀に名指しで来るのだ。
「そう。僕が受け取ったんだけど、宛名が子供の字だったんだ」
字を書けない者は隠密衆にもいるし、現に宏幸や冴希は子供より筆の運びが下手だ。達筆でない大人が書いたんだろうと保智は推測した。圭祐はふふっと笑う。
「本当に子供が書いたんだって。手紙を読んだあと斗上さんが笑ってたよ」
それより誰の子供なんだと不審な顔で尋ねる保智に、圭祐は首を傾げてみせた。
「知らない子みたい。詳しくは聞かなかったけど」
「なんで知らない子供が斗上さんに手紙なんか……」
「でも嬉しそうだったよ」
飛脚から預かった手紙を届けた時、皓司はその場で開封して目を通し、珍しく目を細めて笑ったのだ。立ち去るタイミングを逃してそこにいた圭祐と目が合うと、「子供というのは猫のように好奇心旺盛ですね」と意味深なことを言って大事そうに手紙を懐へしまっていた。
「斗上さんって不思議な人だよね。何ていうんだろう、魅力的?」
「魔力的の間違いじゃないのか」
「あ、そっちかな」
今ごろ当人がくしゃみをしていたら面白いのにな、と圭祐は想像して噴き出す。皓司のくしゃみなど聞いたことがない。体調管理には人三倍抜かりない彼にそんな事が起これば衛明館は大騒動だ。他人を寄せ付けぬ孤高の存在に見えるが、なかなかどうして世話上手。あらゆる面で不思議な魅力があり、長く付き合っていても飽きない人だった。良くも悪くも人を惹きつける魔力を持つ者がいれば、それは間違いなく斗上皓司その人だろう。
南町奉行所を過ぎると京橋が見えてきた。
最近になってここ一帯に子供の姿が多くなったと聞くが、たしかにその通りで圭祐と保智の前を二人の少年がじゃれ合いながら走っていく。枝でチャンバラごっこをしていた二人を追いかけ、さらに子供が数人出てきた。
「子供の姿が増えたって本当だったんだな……」
噂によれば、無賃で子供に勉学を教えてくれる先生が地方からやってきたのだという。勉学の先生など江戸にも多くいるが、もともと男を男たらしく育てる為の道場と違って学習塾は流行らない。そのせいで受講料は高く、貧民の子供はまず受け入れてもらえないのだ。
きゃあきゃあと叫んで大人の間をすり抜けていく子供たちを茫然と見ていた保智の腰に、余所見をしていたらしい子供がぶつかった。圭祐があっと思った時には尻餅をつき、沈黙のあとにわっと泣き出す。
「大丈夫?」
しゃがんで頭を撫でると、つぎはぎだらけの着物を着た子供は保智を指差しながら意味の分からない文句を言い出した。
「あのな……俺のせいじゃないだろ」
自分でぶつかってきたくせに人のせいにするなと呟いた相方を制し、圭祐は子供を立たせて着物の埃を叩いてやった。
「ごめんね。このおじさんが余所見してたから」
保智が反論しようとするのをさらに制し、泣き止むのを待って手拭いで顔を拭いてやる。
子供は鼻をすすって圭祐の顔をじっと見つめ、もげる勢いで首を横に振った。
「ぼくも余所見してた。おじさん、ごめんなさい。お姉ちゃん、ありがとう」
これには圭祐も一瞬黙ってしまったが、まあいいかと敢えて訂正はせず、友達を追いかけて走り出した子供の背を見送った。自分の非をきちんと認めただけ偉いと思う。
「俺はおじさんなのか……?」
「小さい子から見ればおじさんだよ。僕なんてお姉ちゃんだし」
「……子供って直感で生きてるよな」
直感で女だと思われるほど女性らしい格好はしてないが、顔がいけないのだろう。そればかりはどうしようもない。甲斐なら間違いなくお兄さんと言われるであろう所をおじさんと言われてしまう保智の風貌も哀愁だが、自分ならその方がいいと内心で苦笑した。
子供たちに続いて京橋を渡ると、数ヶ月前まで空き家の多かった一帯が俄かに生活臭を醸し出している。若い夫婦やその親あたりの世代も見られ、噂を聞いて引っ越してきたのだろう。庶民にとって無賃塾はこれほどまで影響するのかと一寸驚いた。
「今の子供たちもみんな塾に通ってるのかな」
「さあ……でもタダってだけじゃここまで繁盛しないよな」
それはそうだ。安かろう悪かろうでは噂にもならない。
「きっといい先生なんだ」
「殿下の息子さんも通ってたりしてな」
「光琉さんが教えてるみたいだから通ってないよ、多分」
彼らの息子は衛明館に来た時ですら勝手にあちこちを探索した暴れん坊だ。塾に通っておとなしくしている性格ではないだろう。
そんな事を思いながら、圭祐は桜の花びらを蹴散らして走る子供の姿に目を細めた。
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