冬の庭


二、

 本殿を降りて、再び露店の間を歩いた。
 町娘たちが四,五人、汁粉を手に談笑しながら脇を通り過ぎていく。
 汁粉は妻のりんが大好物で食べ飽きるほど鍋一杯に作ってあるので、皓司も今更ここで食べたいなどとは思っていないだろう。
 当の彼は露店を見て回る風でもなく、散歩のように歩いている。

「あのさ、皓司」
「何ですか」

 思い切って、尋ねてみるべきか。
 呼び止めておきながら逡巡して間を空けた浄正に、皓司は得心顔で頷いた。

「大層なものではありませんよ」

 いや金の問題じゃなくてな、と言いかけて、皓司が指を示す方へ首を巡らせる。

「あれが欲しいんです」


 浄正は絶句した。
 たしかに金の問題じゃないが、それもどうなんだと思わずにいられない、「あれ」。
 双頭の狛犬や鯱が欲しいと言われた方がまだ納得できそうな、「あれ」。

「……あれって、あれ……?」
「あれです」

 二人で露店のひとつを示し合い、再確認するが、やはり「あれ」。

「なんでまたあんな……や、買ってやるけどね……」
「居候の身ですから、ご迷惑になるようなら結構ですよ」
「それは平気だが……まさか、りんに頼まれた?」
「いいえ? 私の希望です」

 問題の「あれ」が売っている店に近づき、浄正は小難しい顔で木箱を覗き込んだ。

「らっしゃい旦那! どの子もみんな生きのいい仔うさぎですぜ!」
「ほ……本当に、うさぎ……」

 生涯で初めて皓司が欲しいと指を差したのは、仔うさぎだった。
 綿埃のようにふわふわ、団子のようにころころした、この、世にも愛らしい小動物。
 を、あの澄ました美貌の鬼男が、欲しいとな。
 皓詐欺、と書いて、仔うさぎと読めばいいのだろうか。

「ちなみに皓ちゃん、何毛の子が欲しいの……?」
「白毛が可愛らしいですね」

 可愛らしい……それはむしろお前の嗜好だと言いたくなるほど、浄正は混乱した。
 白うさぎの一匹をつまみ上げると、ぷるぷる震え出す始末。
 キュッ、とか鳴いちゃってみたり。

 ───今夜はうさぎ鍋か。
 それとも丸々と太らせた来年の今頃に、うさぎ鍋が出てくるか。

 浄正から仔うさぎを受け取った皓司は、暖めるように胸元に抱えて撫でていた。
 一体、彼に何があったのだろうと疑わずにはいられない。

「じゃあ親父……あの白いの、一匹」
「まいどぉっ! 白兎は無病息災、戦の縁起もんですぜ!」
「そりゃ結構なこって……」

 戦に縁起も何もないと思うが、まあ言いたいことは分からないでもない、と浄正はぶつぶつ零しておまけの餌だという袋を受け取った。


「ありがとうございます。先代」
「いんやー。しかし意外だな、動物なんて興味ないと思ってたぞ」

 犬なら分かるがうさぎとは天晴れ、どこから出てきたのか知りたいものだ。
 そんな浄正の疑問に、皓司は懐の仔うさぎを撫でながら答える。

「昔にも、露店でうさぎを買ったことがあるんですよ」
「ほう。昔っていつ頃?」
「四歳でしたか。一月後に踏み潰されてしまいましてね」

 うっかり、などという事は代々有り得ないのが斗上の血ではなかったか。

「誰に? 親父か?」
「庭師ですよ。庭に放していた私の責任ですが、子供心に随分と傷ついたものです」

 そんな可愛い子供だっただろうかと浄正は首を捻ったが、ひとつ納得した。
 祭りに連れて行っても露店に見向きもしなかった皓司は、うさぎのことが忘れられなかったのだろう。今思えば、あれで普通の子供だったのかも知れない。

「仕方ないので、そのうさぎは鍋にしました」

 ───普通の子供では、なかったかも知れない。

「父が言ったんですよ。責任というのは、骨肉まで取るものだとね」
「なるほど……それで鍋か」

 いかにもあの親父が言いそうだと苦笑し、浄正は仔うさぎの鼻面を指で突付いた。

「じゃ、今年からうちの庭は俺が手入れしよっと」
「その時は私もお手伝い致します」
「お前はこのウサ子と遊んでたらいいんだ。二人でやったら危険が二倍」

 妻の騒々しいドタバタもうさぎのおかげで静かになり、一石二鳥に違いない。
 勝手にウサ子と名づけた浄正は、自分もその日から怠けた生活を禁じられたも同然であることには、気づいていなかった。


 冬の庭に、うさぎが一匹。
 落ちないようにと浄正が作った池垣の柵の周りを飛び跳ね、潰れないようにと浄正が片付けた庭石の跡で立ち止まり、遊べるようにと浄正が作った小屋には一度も入らず。
 放っておけば乱雑するばかりの室内も、浄正が毎日片付ける癖をつけて整頓された。

 皓司にとって一石二鳥とは、この事である。





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