冬の庭


一、

 鎌倉へ初詣に行こうと誘ったのは、ほんの気まぐれだった。
 毎年行っているわけでもなく、思えば十年くらいは無沙汰かもしれない。
 元旦を幾日か過ぎてしまったが、暇な日々を持て余している身には関係のない事。身支度といっても普段着とそれほど変わらない男二人、揃ってぶらぶらと鎌倉へ向かった。


「お内儀は本当によろしかったんですか? 駄々を捏ねておられましたよ」

 厚手の羽織を肩に掛けた皓司は、白い息を吐きながら小町通りをゆったりと歩く。旅籠に乗って八幡宮へ向かう武家娘の多いこと多いこと、時には何人もの従者を従えて仰々しく先の鳥居を目指すお偉い人の姿も見られた。浄正は下駄を突っ掛け、両袖に腕を通して鼻歌混じりに町並みを眺める。

「いーのいーの。りん(・・)はどうせあれ買えこれ買えで終わるんだもん」
「それは私にねだるなと釘を刺しているわけですね」

 そんな返答が返ってくるとは思いもよらず、呆気に取られて足を止めた浄正は二十近くも年の離れた友を振り返り、横顔を食い入るように見つめた。

「ねだる気でいたのか? お前が、俺に?」

 その鼻先がついとこちらを向き、可笑しそうに唇を歪められる。

「他の誰にねだるのですか。貴方しかいないでしょう」
「そらそうだけど……珍しく図々しいな。いんや、いつもの事か」

 突っかけている下駄を道に置いていきそうになり、平静を装いながら浄正は指の間で鼻緒をきつく挟んだ。
 参ったな、と心中密かに溜息をつく。
 懐が寒いわけではない。
 首筋が寒いのだ。
 生まれた頃からの付き合いとはいえ、一度だって何かを強請られた事はなかった。
 頼みごとはしてきても強請りはしない。
 そんな彼が今頃になって、欲しいものがあるのだと意思表示をしてきた。

 嫌な予感がする───
 ぶるりと震えた身を引き締め、自分がどれほど不審な目付きをしているかも気にせず、浄正は傍らの露店を端から物色した。

 夏祭りとは様相の異なる、しかし子供達には祭りは祭りでしかない屋台の数々。
 焼き餅を五、六本買い占めた子供がべっ甲飴を咥えながら足元を走り抜けていった。

(べっ甲飴……?)
 いやいや、と浄正は首を振る。飴の類は昔から嫌いだったはずだ。

 首を巡らし、本殿の階段を下りてくる人々が手にしているものを眺める。
 およそ実用的ではない長弓と矢を抱えた女が、連れの男と笑みを交わしていた。

(破魔矢……とか)
 やだやだ、と浄正は腕を擦る。魔除と言われて射られる可能性が高い。

 ちらりと右脇を見ると、並行に組まれた竹柵にいくつもの面が並んでいる。
 墨汁や朱墨を使い、無地の型に不思議な狐の顔を描いている親父と目が合った。

(面……なんてな)
 またまた、と浄正は鼻で笑う。彼の顔がそもそも最高級のお面だ。鬼の。


 皓司の欲しがりそうな物は何一つないと断言できる。
 子供の頃は時々、父親の代わりに祭りへ連れて行ってやったのだ。
 露店の品々に興味もなかった彼が、今になって何を欲しがるか。

(まさかこの八幡宮じゃないだろうな……)

 いくら幕府に貢献した身でもそれは無理な注文だと蒼白になりかけた時、軽い咳払いをした皓司が口元を歪めた。

「心配なさらずとも、鶴岡八幡を買えとは申しませんよ」
「あそう? んならよかった」
「鎌倉が欲しいんです」
「…………」

 同じ事じゃないか、いやそれより高いじゃないかと思わず懐勘定をしそうになって、すでに何でも買ってやる勢いになっていた自分の甘さに溜息が零れる。
 そろそろ私宅のひとつでも建てようかと思う、などと突拍子もない話を始めた彼の心は、どこまでが本気で冗談なのか未だに判らなかった。

「冗談ですよ。まずは本殿に昇りましょうか」

 冗談ですよ、などと言いながら冗談ではなかった事柄、数知れず。
 本気かと思えば冗談だったりと、まるで人を食うことが天職であるかのような皓司の背を眺め、浄正は袖に手を入れたまま彼の後を追った。



 賽銭箱に金を投げ入れ、柏手二回。
 両手を合わせて拝む傍ら、ちらりと隣の男を盗み見ると、皓司は瞑目していた。自分の祈りも忘れて彼の腹を探ろうとしていた浄正は、後ろに続く参拝客にせっつかれて早々に交代する。
 長蛇の列を横断して皓司と合流し、目先で賑わっている御籤を引こうと連れ立った。

「昨年は小吉だったからな。今年は大吉に違いない」
「先代が過去に大吉を引いた例があったでしょうか」
「ないから、今年こそは引くんだもん」

 吉が出ても凶が出ても性格が大吉である浄正に続き、凶の化身のようでありながら毎年大吉しか引いたことのない皓司が御籤の筒を振る。

「そら見ろ、大吉が出たぞ皓ちゃん! 大吉、大吉!」

 横で人の御籤を眺めていた子供が、真摯な顔で浄正を見上げた。

「おじさん、大吉ってそんなにいいの?」

 浄正は自分の腰ほどにしか満たない子供を見下ろし、しゃがんで笑う。

「いいか、坊主。大吉っていうのは吉が沢山、良い事が沢山てことだ」
「ぼく去年は大吉だったけど、父上と母上が死んじゃったよ」

 さて困ったな、と返答に詰まった時、皓司が子供の手に大吉の札を乗せた。

「では今年は両親を失う不幸は訪れませんから、吉あるのみですよ」

 きょとんとして皓司を見上げた子供は、その意味を理解すると無邪気な笑顔を浮かべる。大吉の札を握り、ぺこりと頭を下げて階段を駆け下りていった。

「という事で、貴方が苦労して引いた大吉は振り出しに戻りましたので」
「ふーん……って、小僧にくれてやったあの大吉は俺のか!?」
「私は凶が出ましたのでね。さすがにこれを渡すのは残酷でしょう」

 朱墨で【凶】と書かれた禍々しい札を見て、浄正は唸る。
 生まれて初めて引いた大吉を、よもやこんな形で失うことになろうとは。

 最初に大吉が出たのなら運が付いているわけで、もう一度引けばいいじゃないかと言われ、浄正は筒の中をよく混ぜてから大仰に振った。

 カコン、と落ちてきたのは、【大凶】。

「裏を返せば大吉ですね。大凶は一社に一本しか入れない貴重な札ですよ」
「嬉しくない……」

 浄正は大凶の札と小判一枚を賽銭箱に放り込み、もう一度柏手を打った。





次へ
目次


Copyright©2006 Riku Hidaka. All Rights Reserved.