十六.


 冴希は床の間にいる隆のところへ行こうとしたのだが、四つんばいになって畳を拭いている深慈郎につまづいて堂々と転がってしまった。

「イッター! 気ぃ付けえや、タヌキ!」
「椋鳥さんこそ気を付けて歩いて下さいよー」

 やかましいわ、と一喝して尻を蹴飛ばし、冴希は深慈郎の年齢を考えてみる。

「タヌキ、あんた十五歳か十六歳?」

 再び雑巾掛けを始めた深慈郎は、そのままずるっと前に滑って絶句した。

「なんで僕が椋鳥さんより下なんですか! これでも二十歳ですよっ」
「ゲッほんま!? 童顔すぎるんとちゃうのん? よくそんなで班長やりよるなー」
「顔で決まるものじゃないですっ。それより手伝って下さいよ。広いから大変で」

 雑巾を渡そうとした深慈郎の手は宙に差し出されたまま、綺麗に無視されていった。

「えーっと、氷鷺隊の寒河江さんやっけ。おトシは二十四?」

 床の間で割れた花瓶の欠片を拾っている隆に尋ねると、隆は顎を擦って苦笑する。

「そんなに若かったら嬉しいなあ。残念、三十路だよ」
「冗談きっついわ。お肌ぴちぴちやん」
「いやほんとに。三十路だよ」

 今までで最大の打撃を食らって、冴希は唸りながら矛先を浄次に向けた。三十にはとても見えないほど、隆は若者然とした外見なのだ。保智よりも年下だろうと思っていた予想はものの見事に覆された。

「こう言ったらあれやけど、またえらい若いなぁ。あそこのオヤジの方が更けとる」

 指を差して保智を指名すると、案の定向こうも憮然とした顔で見返してくる。

「保智は苦労が多いからじゃないかな。俺は呑気な性格だから成長が遅いのかもねえ」

 つられて呑気になりそうな雰囲気だった。
 冴希は廊下を見やって、先刻までそこにいた浄次の顔を思い出す。

「じゃあジョージは四十くらいやろな。三十五とか」
「俺がそんなに歳を食ってると思うか!」

 突然廊下からドスドスと音がしたかと思うと、浄次が鬼面の形相で入ってきた。
 広間でどっと哄笑が沸き起こる。

「二十三だ、二十三! 言わせておけば、誰が四十だ」
「更けとるんやからそう見えてもおかしないわ! ジョージこそ、もっとこの兄さんみたいに若作りしたらどうやねん」

 隣で笑いを堪えている隆の腕を叩いて冴希も言い返した。
 浄次は隆を一瞬睨み、その容姿の若さに負けてぐっと言葉に詰まる。

「寒河江がおかしいんだろう! 俺が普通だ!」

 つまらない口論に本気で憤慨し、浄次はへの字に曲げた口のまま出ていった。
 しばらくして、隠密衆の内輪では「俺が普通だ」という言葉が流行したのは言うまでもない。


 彼らの日常はこれからも続く。
 ……江戸が東京に変わる、その日まで。










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