在りし日の子供


五、

 背中に何かが当たって目を覚ますと、保智は草の上に寝そべっていた。
 顔をくすぐる葉は、肥前の野原の感触とは違う。
 お囃子の賑やかな音が聞こえてから、ようやく江戸の夏祭りの最中だったと思い出した。祭りの道から外れた小さな野原で横になっていたらしい。
 空はまだ赤く、夕焼けに雲が朱色を帯びている。
 故郷の空はもっと橙色をしていたものだ。

 上半身を起こすと、隣に寝転がっている幼馴染がごろんと寝返りを打った。腰に見慣れた南蛮物の刀が差してある。夢で見た刀はまだ新しいままだったが、今は柄にも鞘にもたっぷりと年季が染み込んでいた。当たり前のように人の血も染み込んでいる。
 そっと顔を覗くと、甲斐は目を閉じていた。寝ているらしい。
 保智は熟睡していた自分を棚に上げて、よくこんな所で寝られるものだと呆れた。
 甲斐のそばに懐かしい形をしたガラス細工がひとつ転がっていた。
 肥前と江戸ではガラスに着色される模様が違うらしく、江戸の模様は少し派手すぎる。
 筒の先に口を当てて吹いてみると、ぺこん、と音が鳴った。

「……何やってんの?」
「あ、悪い。鳴ると思わなくて……」

 音で目が覚めた甲斐は、寝転がったまま保智を見上げて不思議そうな顔をする。

「ビードロ鳴らせるようになったんだネェ。昔は一度もできなかったのに」
「だから、鳴ると思わなかったって言っただろ……。偶然だ」
「ようするにまだ吹けないわけか。墓穴掘るのも相変わらずだネ」

 頭に来てもう一度吹いてみたが、ビードロは鳴らなかった。
 甲斐が肩を揺らして笑いを堪えている。

「……笑いたかったら笑えよ。どうせ俺は不器用だよっ」
「その台詞は『どうせ俺は不器用で老けてるよ』じゃなかったっけ。不器用で老けてて奥手だよ、だったカナ」

 保智はビードロを草の上に置いて溜息をつく。


 甲斐が肥前を出て二年ほど経ってから、保智は江戸に向かった。
 十八になっても稼ぎ口が見つからず、幼馴染が何をしているのか訪ねに行ったのだ。
 春の多摩川を歩いていたところで、土手の斜面に寝そべる甲斐にばったりと再会した。盗られた刀を取り返す為に隠密衆に入ると聞いた時も驚いたが、刀を奪われるに至った経緯には心臓が飛び上がったものだ。ひとつ間違ったら甲斐は死んでいたかもしれない。
 その春先に二人は隠密衆に入隊した。

「今、子供の頃の夢を見てたんだ」
「おや奇遇だネ。おれも昔の夢を見てたヨ」
「……お前もか」

 夢まで腐れ縁を実感させてくれるとは、素直に喜んでいいのかどうか微妙な気持ちになる。
 甲斐は保智が置いたビードロを取り、仰向けになってぺこん、と鳴らした。

「いつの夢見てたの」
「十一歳の時。それとお前が十四の時にいきなり出てった日の夢で、目が覚めた」
「隼人兄さんとおれを探し回ったっていうあの面白い話の夢か」
「……隼人さんは探してなかったけどな。それより甲斐、よくもあの時騙してくれたな」

 夏になったら、という言葉の暗示に引っかかり、その日を境に日常から甲斐の存在が消えた。あれで縁が切れていれば今頃は保智の気苦労も皆無に等しかったはずだが、正直なところ元気でよかったと素直に思った。もちろん当人には言わなかったが。

「引っかからなかったらその日に発つのはやめようと思ってたんだけどネ」
「夢で思い出したんだが、十歳の頃はまだそんな性格じゃなかったよな……」
「さて、そうだったカナ」
「そうだった。よく人攫いに遭ってたし、何かっていうと泣いてたし。どこで間違ったんだよ」
「性格は親の遺伝デショ」
「隼人さんはお前みたいな性格じゃなかったぞ」
「あれで結構似てると思うけどネェ」

 隣でビードロをぺこぺこと鳴らす甲斐も、今は保智と頭が並ぶほど背が伸びている。
 身長だけは歴然の差で勝てると思っていたのだが、保智の願いは叶わなかった。

「甲斐はいつの夢見てたんだよ」
「偶然にもヤスが見てた夢の続きだヨ。夢の中まで先代は憎たらしい顔だった」

 甲斐が心底夢見の悪そうな顔をしたので、保智は苦笑してまた寝そべった。

「人攫いといえば、どうしておれがそんな目に遭うのかヤスに聞いたことあったネ」

 記憶を辿るように尋ねてくるが、保智は夢に見たばかりなのではっきりと覚えている。

「聞かれたけど、それがどうしたんだよ」
「ヤス、自分がなんて言ったか覚えてる?」
「可愛いからだろって言ったん……」

 保智はそれを口に出してから、自分の言葉に絶句して黙った。誘導尋問に成功した甲斐は背を丸めて笑い、保智が弁解しようにもまったく聞いてくれない。

「あれはまだお前が小さくて、由華さんの着物を着せられてた頃だからだよっ!」
「自分で口にしててよく恥ずかしくないネェ」
「お前が言わせたんじゃないか! だいたいな、今のお前を攫ってくれる人間がいたら知りたいくらいだ!」
「今どう思ってるかなんて聞いてないヨ。何をそんなに必死で弁解してるんだか」

 過去を知ってる者同士、突付けばいろいろ弱味が出てくるものだ。
 本来は泣き虫だった甲斐の方に最大の弱味があるのだが、保智はそれさえも逆手に取られていた。弱味を口で武器にする甲斐に、保智は現在も言い返せない。

「子供の頃のヤスはおれを可愛いと思ってたわけか。へえ、ヤスがおれをネェ」
「お前、なんか俺のこと憎んでるのか……?」
「うん? 大好きだヨ。女を除けば世界で一番好きだネ」
「……相当憎まれてるみたいだな。何かにつけて突っ掛かってくるのはそのせいだろ」
「好きだってば。なんで疑うのカナ」

 幼馴染の性格を嫌というほど知っている保智は、額面通りに受け取れずその裏を探った。

「憎まれてる理由って、もしかして昔のお前を知ってるからか?」
「憎んでるとか恨んでるとか言う前に、その捻くれ曲がった思考をどうにかしようヨ。昔から図体だけはご立派だけど頭はちっとも成長してないネェ」
「そういう言い方されると余計に恨まれてる気がするんだよ!」
「人間不信になっちゃって」
「そうだとしたら絶対お前のせいだ……」
「ヤスがおれを恨んでるの間違いじゃないのカナ、今の会話は」

 とっぷりと夜に浸かった木陰の間から、盛大な音を響かせて花火が打ち上がる。
 ふと思い出して、隣でビードロを咥えながら花火を見ている甲斐の横顔に問いかけた。

「お前が将来したかった事、教えてくれなかったよな。十歳の時は何がしたかったんだ?」

 意外な質問をされた甲斐は、ビードロをぺこんと鳴らして振り返る。

「仕事にありついてる身なのに、今更どうでもいいデショ」
「教えろよ。もう時効だったらいいじゃないか」
「強情だネェ……おれが将来したかった事は───」

 ドドン、と一際大きな音を上げ、花火がざあっと空に広がった。
 鮮やかな色彩は瞬く間にサラサラと地上へ消えていき、残像だけが記憶に残る。

「え、何だって? 花火の音で聞こえなかった」
「ちゃんと言ったヨ。聞こえなくて残念」

 ずるいんじゃないのか、と不貞腐れた保智は、子供の頃から何一つ変わっていなかった。







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