雨 藍
九、
謝りにきたのに先に謝られ、珍しくよく喋る保智を前に調子が狂った。
千草の言った通り、素直に向き合えばちゃんと返ってくる。
心のどこかで保智を信じていなかった後ろめたさは消え、代わりに喩えようのないこそばゆさが肌をくすぐった。
「ところで甲斐は何か用だったんじゃないのか?」
求婚まがいの台詞を素面で吐いた保智は照れ隠しなのか足元でごそごそと草をどける。
「ああ。おれも謝ろうと思って」
窓枠に腰掛けたまま居住まいを正し、深く息を吸い込んだ。
「訂正すると春樹たちが嫌いなわけじゃない。あいつらと話してる時のヤスが自然体で、おれに対するのとは全然違うのが不満だった」
「自然体……? ええと、悪い、意味が分からないんだが……」
「ここでもそうだ。圭祐たちとは普通に話すのに、おれにだけは態度が違う。今まで気にしたこともなかったけど長崎に行って分かった。圭祐や春樹は同等でおれだけ違う。本当は嫌いで迷惑で、なるべく関わりたくないから適当に相手して半端に避けてるのかと」
素直に、正直に、感じたままを話そうと意識すると言葉が繋がらない。
普段の保智がなかなか言葉にしない理由はこれかと理解した。お互い、自分のことを話すのがとことん苦手で下手なのだ。
「お前が誰かと笑ってるのが気に入らなかった」
やっとそこまで言える。
あとひと言、本音をぶつけてしまえばそれで全部。
知らずに震え出した手を隠すように両手で握り込んだ。
「おれには、一度も笑ってくれないから」
言ったらきっと羞恥心でいっぱいだろうと思っていた。
いざ声に出してみると、心の臓を駆け巡ったのは羞恥心でも後悔でもなく。
途方もない寂しさだけだった。
それさえも口にしなければ保智には伝わらないだろうか。
「ヤスは───」
「そんな顔しないでくれ」
どんな顔をしているかなんて今はどうでもいい。どうでもいいのに、なんで人の決心を無視してそんなことに気を取られるんだと舌打ちしそうになった。
噛み締めた唇の痛みに自分で驚いて顔を伏せる。
無骨で大きな手がスッと頬に触れてきた。
「笑う余裕なんてなかったんだ。お前の本心を知りたくて探るのに精一杯だった」
窓の外から伸ばされた手はじんわりと温かく、溜息が零れるような安心感を覚える。
やっぱりこの体温が好きだと思った。
繋げば熱いほどにしっかりと、触れればぬくもりを分けるようにしっとりと。
昔からこの手に助けられ、守られてきたのだと知れば知るほどもっと触れて欲しくなる。
「話してくれてありがとう、甲斐」
引き寄せるように両手に力を込めた保智が、そう言って笑った。
保智らしい控えめな笑顔。
細められた眼差しに、緩く弧を描いた口元に、魂が揺さぶられるのを感じた。
窓から身を乗り出し、逞しい腕を掻い潜って頬に手を触れる。
重力に逆らわず外へ落ちていく身に任せ、保智の唇に自分のそれを重ね合わせた。
「ん…っ───ちょ、危な……!」
どうせ受け止めてくれるのだ。
力を抜いて無防備に懐へ飛び込んでやった。
「何やっ……て、いうか、今」
二人して草むらに倒れ込み、紫陽花の垣根に頭をぶつけた保智が唖然とした表情で見上げてくる。そんな表情さえ今は愛しい。
腹の上に跨ったまま、もう一度唇に口づけた。
「好きだ。愛してるよ、ヤス」
どういう意味で受け取ってくれても構わない、と先制して保智の腹を跨ぎ越す。
雲間から差し込んだ暁光に照らされ、藍の花がほんのりと朱に染まった。
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