2009年だけど隠密衆は永遠に1706年なのだよ
あけおめスペシャル今年もよろしく!





■■衛明館の人々+αの正月■■


 城の外堀を越えればすぐそこは華の大江戸、城下町。
 草履の踵を引きずってぶらぶらと歩いていた樹は、先を行く連れが突然くるりと振り向いて自分の手を握ってきたことに激しく動揺した。言葉を返す間もなく引っ張られ、そのまますたすたと歩き出す沙霧の手の柔らかさに戸惑う。

「……なんで俺が手を引かれて歩かなきゃならねえんだ?」
「歩くのが遅いから」

 それは自分の歩幅が大きいゆえに沙霧の歩調に合わせていただけだ。しかし気づけば数歩も遅れを取っていたらしく、樹は散切り頭に手をやってほてほてと後ろを歩いた。
 沙霧の体温の低さは昔から知っているが、それでも改めて手の冷たい女だなと思う。冷たいのに柔らかくて、無骨な自分の手をしっかりと握り締めてくるその温もりにささやかな幸福感を得た。気安く触られる事が嫌いだから、気安く触らない。そんな沙霧があっさりと触れてきてくれたのだ。
 思えばこんな風に二人でのんびり出掛けるのも初めてかもしれない。
 沙霧が隠密衆にいた頃は大概が自分の家で会っていたし、辞めて浄正の家に居候していた頃は自分が上野へ出向いていた。そして今現在の沙霧は城仕え。通うのも近い方がいいと、うちの隣の空き屋に越してきて数ヶ月が経つ。

「で、どこ行きたいんだよ」
「どこでも。樹と一緒に散歩したいと思っただけ」
「なんだそりゃ……」

 相変わらず何を考えているのか分からない。いや、何も考えていないのか。そうしたいからそうするだけで、細かい理由を聞くのは愚問。こざっぱりした性格のくせに時々こんな可愛いことを言うから、男としてはたまったもんじゃない。
 沙霧に肩を並べようと大股に踏み出した一歩を、樹は結局半歩に留めた。
 並んで歩けば手を繋ぐ必要もなくなる。それは少しもったいない気がしたのだ。

「じゃ、どっかの茶屋にでも入っ───」

 言いかけた瞬間、顔面に強烈な痛みを感じて蹲った。そして沙霧の腕力に転がされた。

「どうした、便意でも催したのか?」
「人がしゃがんだらそれしかねえのかよ……」

 額の中央が燃えるように痛い。破魔矢でも飛んできたのだろうかと涙目になっていると、沙霧がふと傍らに身を折って何かを拾い上げる。

「これが当たったのか」

 手にしたものをくるりと回し、沙霧は道なりに延々と続く城壁を見上げて微笑した。

「樹。落し物を返しに行こう」




「お圭さんオレと寝て下さーい!」
「いい加減にしろ虎卍隊!」
「言うだけならタダじゃん!」

 ピピッと笛が鳴る。

「“ん”で終わるのは駄目ですよ。はい交代」
「うっ、しくじった!」

 衛明館の野外では頭と身体を鍛えるべく、朝から激しい戦いが繰り広げられていた。
 その名も『隊対抗・羽子板しりとり勝ち抜き戦』。
 二つのコートを三隊で分け、四、五人一組でしりとりを繋ぎながら対戦する。羽根を落としたら負け、しりとりが繋げなくても負け、既出の言葉を使っても負け、さらに羽根が体に当たったり羽子板を仲間に当てた場合も負けという、あらゆる神経が試される難易度の高い羽根突き合戦だ。
 隆と皓司の双璧コンビによる企画に最初は乗り気でなかった者も、いざ始まると負けは男の恥とばかりに熱中していた。集中力はもとより運動神経、記憶力、仲間との連携など実戦に求められる要素がしっかり押さえられている。昨年は暮れに大雪が積もったので雪合戦だった。

「乾坤一擲!」
「起死回生!」
「一意攻苦!」
「空前絶……ご、ごめんスカした」

 なぜか四字熟語の応酬になっているのは龍華隊と氷鷺隊のエリート対決で、言うまでもなく冒頭は虎卍隊と氷鷺隊ぼんやり組だ。

「はい交代ねー。氷鷺隊、もう少し頑張ってくれないと俺の面子が丸潰れだよ」
「しかし隊長……龍華隊はハンパなく強いですよ」
「貴嶺さんが鍛えた精鋭揃いだからねえ。でもうちだって負けちゃいない」

 隆はちらりと後ろのコートを見て笑った。虎卍隊には今のところ勝っている。ただし彼らの口から出る言葉は意味不明なものが多く、乗せられている氷鷺隊が少し気がかりだった。

「ねえ皓司、虎卍隊の低レベルなしりとりは隊長のセンスなのかい?」

 背中越しに尋ねてみると、虎卍隊の隊長は心底愉しそうに笛を鳴らす。

「低レベルに見えて実はこちらの方が難易度が高いと思いませんか」
「いやあ、全く思わないね」
「殿下、貴方の感受性の低さには心から同情しますよ」
「そんなお笑いの才能は虎卍隊だけで十分だよ」

 今も虎卍隊が仲間の後頭部に羽子板をぶつけて敗退した。狭い陣地の中、互いの呼吸が合っていないとこういう事が起こる。つまり連携の訓練で、刀だったら味方を斬ってしまったことになるのだ。お前がぼけっと立っているのが悪い、お前が前方を確認しないから悪い、と掴み合いの喧嘩を始めた隊士二人を場外に摘み出し、皓司は次なる兵を投入する。

「やっと出番が回ってきたぜ」

 駒が尽きた証拠に、虎卍隊は早くも班長の出陣だ。
 襷に鉢巻のいでたちで意気揚々と現れた宏幸が相方の尻を羽子板で叩く。

「おら甲斐、行くぞ!」
「頑張って」
「おめーもやるんだよ!ケツに羽子板ぶっ刺すぞ」

 低血圧で……と呟く甲斐を後ろに立たせ、宏幸は皓司に向かって親指を立てた。

「見てて下さい皓司さん!バッチリ挽回して見せっから!」
「二十人破ったらご褒美をあげましょう」

 褒美と聞いて俄然やる気を増した宏幸が仲間に配置の指示を下す。

「では始め」

 笛を吹いた皓司は、背後で「虎卍隊の負けは確実だな」と笑った隆の耳元にわざとらしく口を近づけて囁いた。

「氷鷺隊の首はうちが頂戴しましたよ」







   * まだ合戦→
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